三国志について質問です。100枚あげます。曹操は他の武将よりも身長が低かったのは本当ですか?
でも、でも呂布とか趙雲・関羽・張飛などの猛将は、すごく身長が高そうだと自分は思いますが皆さんはど思いますか?
2.黄巾の乱をおこした張角・張宝・張梁は本当に妖術を使っていたんでしょうか?
『正史三国志』の主要登場人物で、
身長を含めて容姿の記載がある人は、意外と少数です。
ご質問に挙げられている「曹操」や「呂布」の記載はありません。
『正史』に記載がある人物を容姿も含めて抜粋すると、
曹操・・・軽佻浮薄な人柄で威厳がなかった。裴松之の註『曹瞞伝』
荀彧・・・容姿端麗な偉丈夫。
袁紹・・・堂々として威厳のある風貌。
劉表・・・身長8尺(184cm)、容姿はたいへんりっぱ。
公孫瓚・・・容姿美しく。
程昱・・・身長8尺3寸(191cm)、顎と頬に見事な鬚があり。
許緒・・・身長8尺(184cm)余り腰まわり十囲、容貌はおおしく毅然。
典偉・・・容貌りっぱ。
劉備・・・身の丈7尺5寸(172.5cm)、
手を下げると膝までとどき、振り返ると自分の耳を見ることができた。
関羽・・・頬ひげが美しかった。
諸葛亮・・・身長8尺(184cm)もあり。
趙雲・・・身長8尺(184cm)あまり、姿や顔つきがきわだって立派。
龐統・・・地味でもっさりしていた。
孫権・・・顎が張って口が大きく。
周瑜・・・立派な風采。みな彼を周朗と呼んだ。
馬超、張飛あたりの容姿の記載もありません。
上記の人物で、正史を著した「陳寿(233年生まれ)」が、
見かけた可能性がある人物は皆無ですし、
通釈をつけた「裴松之(372年生まれ)」にいたっては、
影も形も存在しない時代です。
歴史書ですから、いい加減なことを描くわけにも行かず、
見たこともない人物ですから、
かろうじて何らかの文献で確認できた事しか描けなかったはずです。
『三国志演義』では、
たしかに曹操は身長が低いと読み取れる記載もありますが、
これは、『曹瞞伝』の「軽佻浮薄な人柄で威厳がなかった」、あたりから、
演義では敵役である曹操を、意識的に陥れようとしたとも読み取れます。
敵役が威風堂々としていてはカッコがつきません。
呂布や、関羽は、
『演義』では、当時の驢馬に近かったであろう座高の低い馬と違って、
立派な体格であったろう汗血馬「赤兎馬」が愛馬ですので、
背の低い短足では跨れませんし、物語に魅力が足らなくなってしまいます。
その武勇も相まって、立派な体格で見栄えがよくなければ困るのです。
今一つ線の細い趙雲の8尺(184cm)より2~3寸でも長身でないと・・。
関羽は、立派な頬髯があったとされますが、
イメージとして、頬髯より顎鬚の美しい「美髯公」こそ関羽です。
張飛は、身長も容姿の記載もありません。
虎髯のイメージがありますが、髯をはやしていたという記載もありません。
本当は背の高い痩身で男前だったかもしれませんが、
それでは、この中国史カテでは三国志最強説の声が多いですが、
その評価に、合致しません。
メタボ気味で、虎髯で、乱暴者でなくては張飛ではないのです。
身長の話ではではありませんが、周瑜は「美周郎」と呼ばれたとされますが、
『正史』ではあくまで「周郎」であり、白面の貴公子であったかは不明です。
(恐らく美男子だったでしょうが・・。)
『演義』の諸葛亮との頭脳戦に敗れ、
非業の死を遂げる三国志一二を争う人気者が、
「醜周郎」「汚周郎」では駄目なのです。
諸葛亮や趙雲が8尺(1尺≒23cm=184cm)あったらしいのは、
これは、イメージを崩さなくて救いですが・・・。
このように、『三国志演義』で語られる人物評(特に容姿)は、
やはりイメージ先行で、
3~4割脚色された『物語』として捉えるべきだと思います。
張角・張宝・張梁は、あくまで宗教指導者です。
風雨を呼び起こす力を会得、
民には符水(呪いを施した水)を飲ませて病の床に臥している人を救ったとされますが、
たまたま山の中出会った、南華老仙という人物から『太平要術の書』を授ってという、
仏教や、キリスト教などの教義が確約している宗教と違って、
いわゆる「妖しげな宗教」です。
それこそ、無知で純粋な農民に対して、
「妖しげな術(マジック)」を使ったかもしれません。マジックには種がある筈です。
曹操は身長は7尺(後漢時代の1尺は約23㌢)ですので161㌢となります。
関羽は九尺で207㌢
趙雲は8尺で184㌢
張飛も同じく8尺で184㌢。張飛の方が肉付きがいい分体重が張飛が上でしたのでしょう。
呂布は分かりませんが関羽や張飛と同じく身長があったと思われます。
黄巾の乱を起こした張角たちは実際に妖術を使ったのではなく、一種の新興宗教でした。
病気になった人たちに以前の罪を告白させてその時に護符を溶かした水を飲ませて治療していました。
そういったことを元にして三国志演義の創作で妖術を使っていたとしたのでしょう。
自分の知ってる人物の身長。
劉備・・・175くらい
張飛と孔明・・・186くらい
関羽・・・207くらい
超雲・・・190くらい
呂布・・・210以上
そして
曹操・・・170もない、160半ば
です。
まず驚きなのは、昔の人ってそんなに大きいんだって思う。
それと孔明が意外と背が高い。
曹操は背が低かったんでコンプレックスがあったらしいです。
猛将・豪傑は、身長だけでなく体重もあったと思われます。でなければ多数の兵の中で、抜きん出た攻撃力を誇示できず認められないから。現代で言うなればたくさんの一般人の中に、武蔵とか朝青龍とかがいたら間違いなく目立った働きをするでしょう。体格や能力は人によりそれぞれです。でも物語のようにはいかないでしょうけど。
妖術はあれば面白いのですが、現代の新興宗教と同じでしょう。盲目的に従うような狂信者を多数作れば従う人は増えて行きます。病気を治すのも祈祷と変わらないような時代に、外科手術や薬品で直したら妖術に見えます。なお曹操はそういう人をだますような宗教や偶像崇拝の像などは打ち壊しています。また諸葛孔明も妖術や宗教にとらわれない現実的な政治をしようとしていましたが、現代では妖術使いのように言われているので心外だろうと思いますよ。
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