2012年3月27日火曜日

高校の課題で三国志のあらすじを原稿用紙15枚に…

高校の課題で三国志のあらすじを原稿用紙15枚に…

高校の課題で、自分で歴史のなかでひとつの時代のあらすじを説明するというのが出て、三国時代について書こうと思っているのですが、三国時代といってもすごく長いですよね。

そこで、原稿用紙15枚分くらいで三国志を説明する場合、これは絶対に入れておかないといけないという部分はありますか?

どの戦いが重要なのかとか、どこを簡潔にまとめたらいいかとか、わかれば教えてください。

個人的には、この前のレッドクリフを見て三国志に興味を持ったので、赤壁の戦いについて詳しく書こうと思っているのですが。

赤壁の戦いをメインに、三国志について説明するのって難しいでしょうか?

詳しい方、アドバイスお願いします。







三国志だったら

1、曹操VS袁紹の「官渡の戦い」

(これは曹操が華北で一大勢力を築くための大事な戦い)

2、劉備VS曹操の「長坂の戦い」

(これはよく三国志ではよく描かれる)

3、孫権〈劉備〉VS曹操の「赤壁の戦い」

(これは曹操の中華統一を阻止したたたかい)

あと漢中とか、五丈原とか合肥とかあります。

自分で気になったのを調べてください(wikiとかで)

赤壁をメインにするとなると、どうしても呉目線になりますよね、

赤壁で戦ったのは主に呉軍の水軍と曹操軍で、孫権と

同盟してた劉備は周瑜の軍に敗れた曹操軍の追撃が主です。

赤壁での見せ場は孫権の臣下が(文官のこと、武官は主戦論)降伏論を

主張する中、周瑜が戻ってきて「俺に5万の兵くれたら曹操の首とってくる」て、

言って孫権が戦う事を決意するくだりとかどうでしょう?(これも詳しくはwikiとかで)

本屋なんかで図解三国志みたいなのが、

置いてあったりするので(RedCliffがやるから)

少し目を通してみるとかした方がいいですよ。(私の知識は間違いもありますから)

それと、三国志本筋ではなくて豆知識的なの入れてみるのはどうですか?

字の意味とか、当時の食文化とか各国の特徴とか。

たとえば呉は長江を要害としているので水軍が強いくて、魏は騎馬が強いとか。

あと「三国志演義」と「三国志」の違いとか。








私も主人公を決めるのに1票投じます。

三国志には色々な名場面がありますが、では赤壁の戦いはどんなポイントかといえば、後の三国のうちの1人である劉備が生き残ったポイントです。

そこから劉備の人生が変わった。というポイント。

そして最終的には、中国の3分の1(正確には5分の1ぐらい)ですか(笑)、だけ支配できたというその後に続きます。

三国志演技は、正史とは違い劉備が主人公ということをまずは、確認しましょう。

正史は曹操が主人公です。

劉備は、人気がありますが、諸葛亮登場まで、ほとんどが負け戦です。曹操が強すぎるんですけどね。

なので、誰かの流れから三国志を追っていくほうが楽しいと思います。

高校の課題で、本人さんは大変だと思いますが、頑張ってください!!







赤壁をメインに書きたいのであれば・・・



・赤壁の戦いが起った理由

・作戦内容

・諸葛亮の行動



コレを重点的に書けば直ぐに埋まると思います。



・赤壁が勃発した理由は三国志演義では・・・

自分の領土が取れない龍備に変わって、諸葛亮が起こしたものとされています。



諸葛亮は「呉」と「魏」を戦わせ、争っている内に余った土地を「蜀」にしたのです。

パートⅠで描かれているのは、呉の将軍の意識を魏との戦争に向けさせるための諸葛亮

の作戦です・・・。

「自分の君主は魏なんて怖くないから・・・、呉はそのまま魏に飲まれちゃえば?」

「ざけんじゃねぇ!いいよ!やってやるよ!!」という感じで・・・。



まぁ、レポート頑張ってください!!







課題も課題ですよね。実際これ出した先生全部読むかどうかも疑問ですよね。

こうなったら、誰か一人を主人公にした三国志で書きましょう。そっちのほうが感情移入もしやすいし、文章も書きやすいですよ。

最初の1枚で、三国時代の成り立ちまでの大まかなあらすじ。

2枚目から14枚目までその主人公からみた主要な戦やエピソード。

最後の1枚で三国時代の終わりを書く。

赤壁を入れたいならそれに関わった人物にすればいいんじゃないでしょうか。曹操か周瑜になっちゃうかも。



あと長い文書は何枚目から何枚目までこの話とかいうふうに最初に道筋立てておくと、すんなりいきやすいですよ。書く前の調べ物が重要になってきます。がんばってください。







中央政府の衰退と地方領主の台頭のきっかけとなった「黄巾の乱」



曹操が袁紹を倒し(正確には倒すきっかけですが)、事実上中華を制した「官渡の戦い」



その曹操の採用した「屯田兵」と、三国時代でほぼ唯一テストに出る役人採用法「九品官人法」

南に進出した曹操の破竹の勢いを、孫権・劉備連合軍がくじいた「赤壁の戦い」



曹否の禅譲による即位と、それに対抗しての劉備と孫権の即位による「三国鼎立」



そしてショクの滅亡、司馬氏による晋の建国、呉の滅亡により中華は再び統一された。



といった感じでしょうか?









三国時代が戦乱の時代とは言え、「赤壁の戦い」を中心とした戦いのみでのあらすじは厳しいでしょう。

①なぜ「三国鼎立」の時代を迎えたのか?②その後中国はどうなったのか?と言うことを書かないと15枚埋めるのは厳しいと思います。

まあ高校の課題(世界史?)と言うことなのでそれほど細かく書く必要はないのでしょうが、歴史小説「三国志演義」を取り上げるのではお話にならないでしょう。



①なぜ「三国鼎立」の時代を迎えたのか

後漢は、皇帝が幼いうちに次々と即位するような状態が続き、幼い皇帝では政治を見られないので【外戚】と呼ばれる皇帝の母方の一族が皇帝に代わって政治を見ていました。皇帝が成長すると自分に政治の実権がないので、それを外戚から取り戻そうとして身の回りを世話して貰っている【宦官】を味方に付けて争います。こうしたことがたびたび繰り返され政治は混乱します。

官僚連中はそれを批判します。それに対して宦官は官僚を弾圧します。「党錮の禁」と言います(任官できなくすること。なかには処刑される人も。)



官僚の大部分は、【豪族】と呼ばれる大土地所有者で、【儒教が国教化】した国家である後漢に対して、儒学を修めることで任官して官僚となったのです。儒教では、宦官のような親から貰った体を傷つけるような存在は否定され、政治を混乱・私物化する宦官は官僚の敵なのです。

一方で、腐敗した政治に対して農民らの叛乱が起きますが、その大規模なモノが、【太平道】と呼ばれる宗教結社が起こした叛乱「黄巾の乱」(184年)です。張角を首領としますが、すぐに病没して鎮圧されますが、その後も黄巾の叛乱は規模や範囲は分散しますが、各地に広がりつつまた続いていきます。



後漢の崩壊はここに極まり、各地で官僚・豪族らは軍事力を持ち独立し始めます。いわゆる「群雄割拠」の時代の到来です。

この時代に生き残るのが、【曹操】・【劉備】・【孫権】であり、彼らの起こした国が【魏】・【蜀】・【呉】の三国となるのです。(本来「蜀」は、後漢の後継者であり、同じ劉氏なので【漢】である。【蜀漢】とも言う)



②その後中国はどうなったのか?

魏は、後漢から皇帝の位を譲り受け成立します。これを【禅譲】と言いますが、本来は「有徳者が有徳者に位を譲ること」であり、後漢から魏への禅譲は単なる血縁相続ではない君主の交替でしかありません。

これを受けて蜀・呉も独立して皇帝となります。皇帝は「唯一無二」の存在のはずなのに同時に三人存在するおかしな時代の始まりです。呉は省きますが、魏は前述の通り後漢から受け継ぎ「正統性」を示しますが、蜀は後漢(劉氏)と同族を主張して「正統性」を示します。しかし、『正史「三国志」』は魏を受け継いだ【晋】に拠る歴史書なので魏が正統であり、蜀は地方の勝手に独立した政権なので土地の名称から「蜀」となるのです。(呉も同じ扱い)



この時代の官僚らは、後漢の時代に「党錮の禁」を受けた官僚やその仲間・一族などでした。彼らは後漢と切り離されることにより、★【仲間内で名声を高めたり情報交換したりして在地に対する影響力】を有して存在していました。それ(影響力)に目を付けた曹操らに協力して勢力を広げていくのに役立ちました。荀彧・諸葛亮・周瑜などがその代表です。

彼らの子孫がのちの隋唐まで続く【貴族】となります。三国から始まる【魏晋南北朝時代】は「貴族政治の時代」です。

彼らが貴族となるのに大きく影響した制度が「【九品官人法】もしくは【九品中正法】と言います。後漢の崩壊により官吏登用制度も崩壊して新たな制度が模索され作られたのがこの制度で、魏で陳羣らを中心として作られます。建前は地域での才能を重視しての採用方法でしたが、実態は地域での★【名声を重視】したので官僚出身者の子・豪族らに有利な偏った制度でした。これが貴族となる淵源でした。「上品に寒門なく下品に勢族なし」

三国の終焉は、魏が官僚層出身の司馬氏に禅譲により【晋】と交替し、蜀(魏より先に滅亡)・呉も滅び統一されます。



これが、三国時代のあらすじですが、ここに戦を挟むとしたら、曹操対袁紹の覇権争い「官渡の戦い」、曹操の統一の夢が破れて諸葛亮の「天下三分の計」に現実味が帯びてきた「赤壁の戦い」、司馬氏台頭のきっかけとなった諸葛亮との戦い「北伐」とするのが妥当かと思います。外戚何進の宦官全滅計画と失敗・董卓の実権掌握と反勢力との争い・曹操の後漢皇帝擁立も重要ですが省いても話は通じるでしょう。



長くなりましたが、参考にするなら以下の本がオススメです。

渡邉義浩「図解雑学 三国志」ナツメ社

満田剛「三国志 正史と小説の狭間」白帝社

金文京「中国の歴史04三国志の世界」講談社







赤壁の戦いは一つの節目だからねぇ



群雄割拠の時代の終焉でもあり、三国時代の幕開けでもある。

三国時代に焦点を当てたいなら、赤壁の戦い以降の劉備入蜀、ケイ州争奪から関羽の死、北伐や司馬一族の台頭に重点を置くべきだし

群雄割拠の時代を書きたいのであれば、白馬、官渡の戦いや董卓包囲網、呂布と曹操の戦いなんかにも触れたほうがよい。



節目としては赤壁は重要だけど、それを中心に書くことはテーマ的に難しいと思うよ。

~~~だから、赤壁でこうなった

赤壁がこうだったから~~こうなる



という書き方をするのがベストだと思う。







赤壁の戦いは非常に多くの要因が含まれています

それこそ論文かけますよ

かくあたって戦国時代ということをあたまにおいてください

蜀が嫌いなので少し偏った意見かも



赤壁で重要なのは

季節風が吹く(普段はと逆の風が吹く→火刑成功)

孔明について(彼は史実と演戯(物語)ではやっていることが違う。まあペテン師ですw

呉の領地は食料が多く取れるので人口を支えるのには非常に重要(魏は北で軍馬が取れます

劉備は安全地帯から参戦している(自分だけ安全なところにいます)

美女・・・・・・・

これによって魏の勢いが落ちた

天下3分の計が実現に近づいた。



劉備はちょうはんの戦いで孔明と数人のみで家族を捨てて逃げ出した(だからアトを朝雲は助けに行った)

人望も失いボロボロのところを呉との同盟により再起した と解釈することも出来ます。

直接そういう表現が出ないのは美化と醜化といいます 善劉備美化 悪曹操醜化が基本となります。

劉備は屁理屈をこねて上司を変えた例が三国志位置多いです。(裏切りの代名詞呂布よりも

そこらへんを強調して書いてもらいたい。 完全に私見ですorz



儒教の影響でカンウがとても優しいです。(実際はこんな性格じゃない) 三国志は儒教の影響を受けている。





赤壁は脚色が本当に多くて、難しいです。

その分物語はおもしろくなっていますよね!



詳しくは図書館に行って図鑑っぽいのに特集がたいていあるからそれを読んだほうが何倍もいいもの出来るよ



変換めんどくさいので 適当ですおrz ほんとに中国の文字はめんどくさい



大切なのは

三国無双1に出てる戦いといっても過言ではないですwwwwww

こうきんの乱 トウタク 赤壁 がっぴの戦い ごじょうげん しばい、しばえん裏切り建国 みたいな?感じかな



間違った箇所があったら通りがかりの人修正をお願いします







そうですねぇ・・・

そもそも三国志は「黄巾の乱」という反乱から物語がスタートするので、そこから話を始めた方がいいかもしれませんね。

どこを書くかについては、ネットにいろんな年表が載っているのでそれを参考にすればいいと思うんですが、特にこれはというのは、

桃園の誓い

虎牢関の戦い

官渡の戦い

天下三分の計

五丈原の戦い

司馬炎(晋)が中国を統一

くらいですかね・・・。







まず主人公を決めたらどうですか?

赤壁をメインにもってくるなら孫権か劉備でしょうか。主人公の活躍した戦いを羅列しつつそれまでの流れ、その後の流れ、という形でまとめられては?

とりあえず黄巾の乱から董卓の台頭、曹操~司馬で流れはイイと思います。南蛮や荊州等、正史と直接関係ない劉備の活躍は省いてイイのではないでしょうか。

適当だけどコーエーの三國無双とかやってみてはどうでしょうか?f^_^;







赤壁の戦いは確かにクライマックスですが、三国志のごく一部です。

あらすじ、と呼ぶには、ちょっと小さすぎるかと。

他のwebサイトで恐縮ですが、参考までに。↓

http://weekly.yahoo.co.jp/80/summary/index.html

ここにある桃園の誓いとか三顧の礼、泣いて馬謖を斬る、なんかのキーワードが入れば、かなりそれっぽく書けると思いますよ。

たいだい、1コマで1ページくらいはかけるだろうし。

がんばってくださいね!

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