If三国志。
時代は赤壁後です。
荊州での戦いで周瑜は魏軍を退け、劉備を滅ぼし、蜀を奪い、馬謄と同盟を結びました。
いわゆる“天下二分の計”です。
しかし、それが完成すると同時に周瑜が病死してしまいました。
その後、どうなると思いますか?
数年後に魏軍の侵攻を受け滅ぼされるか、滅ぼされる前に
孫権が恭順し曹操にくだり、曹操の天下統一が実現できたかと
思います。孫権は天下の野望が薄く、例えあったとしても呉と蜀
の人口をあわせても当時の魏の人口には太刀打ちできなかったでしょう。
補足の状況を踏まえても蜀の臣は呉に使えても蜀の益州派、荊州派、
呉の旧臣と呉国内で『三国志』状態となり益州、荊州と次々魏に陥落し
呉はそのまま滅亡か恭順かいずれかの道に突き進んでいったでしょうね。
おそらく膠着状態が続くでしょう。呉は外交により、馬騰をうまく使い、魏は長安を守備するとおもいます。
このシチュエーションだと、周瑜と魯粛が同時期に死ぬ形になると思いますから、劉備陣営と荊州、益州の人材をどれだけ登用できるかがカギになるでしょう。
恐らく関羽・張飛や麋竺などは降伏を拒んで斬首でしょう。一方、夷陵の戦いが起こらないので黄権や馬良などは得られるでしょう。
荊州を陸遜に、益州は呂蒙に任せるべきですね。
後はいかに張魯を倒し、馬超をどれだけサポートできるかがポイントになりそうです。
馬超が帰順するようなら面積の上で曹操領を上回りますから、そうなれば初めて五分の戦いになるでしょう。
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