どもあの突然ですが三国志の簡単なあらすじ的なものをおしえてください。
できれば登場人物の名前とかの情報もほしいです。
よろしくお願いします
後漢末、高官の腐敗、黄巾賊の乱により、漢王朝は滅亡に瀕していた。これを朝廷・曹操、劉備、孫堅ら群雄が平定し、乱は収まったが、今度は蕫卓が高官に取り入り政治を牛耳る。これに対し、曹操は袁紹を総大将に反蕫卓連合を結成、ここに激戦が繰り広げられる。
蕫卓配下の猛将呂布にてこずったものの、連合軍は首都洛陽を奪還、蕫卓は長安へ逃走、そこで呂布の裏切りにあい殺害される。連合軍側も思惑の不一致から瓦解し、ここに群雄割拠の時代が到来する
一歩抜け出したのは曹操、都から逃げてきた帝(献帝)を保護し、その権力を後ろ盾に勢力を固めていく。孫堅は地元に帰ったあと、劉表を攻めたが敗死、子の孫策が袁術のもとを頼って落ちのびる。劉備はこの頃客将で、一度は曹操と協力して、流軍となっていた呂布を殺害するなど共闘したが、漢王朝復興のための曹操暗殺計画がバレ、曹操に攻められて袁紹のもとへ転がり込む
袁紹は公孫讚というライバルを滅亡させ、転がり込んできた劉備を加え、陣容を整え曹操に決戦を挑む。しかし、部下の意見をまとめる力量がなく、文醜、顔良といった名将を失い敗北、その後没落していく。劉備はここでもいち早く逃走し、劉表のもとへ。この勝利で、曹操は許昌~河北一帯に各個たる強国を築くことに成功する
孫策は国の宝「玉ジ」を差出し袁術から独立、その武勇と知略で瞬く間に江南を席巻する。一方の袁術は偽皇帝をなのり、諸侯の反感をかい滅亡。ここに強大な呉の基礎ができたが、孫策が暗殺されてしまう。後を継いだのは弟の孫権。政治力に優れたと言われる人物
曹操、孫権が国をもつ中、劉備は流浪の身。そこへせまる曹操の軍勢。こんな時期、劉備は諸葛亮という軍師を得る。張飛・関羽・超雲といった豪傑に、智将が加わり、劉備の陣容も固まる。諸葛亮が呉の主孫権を説得し、2人は同盟を結ぶ
孫権は若き司令官周瑜に全権をゆだね、曹操軍にあたらせる、そして、周瑜は見事にこれをしりぞけることに成功する(赤壁の戦い)曹操が占領するはずだった荊州を劉備が占領したことで、劉備・孫権の仲が不仲になる
劉備は法正の助言に導かれ入蜀、内側から蜀の主・劉璋を攻める。途中、馬超を配下に加え、劉璋を降すが、戦闘で龐統を失った。ここに、曹操の魏、孫権の呉、劉備の蜀が姿を現し始める
劉備は魏の漢中を攻め、黄忠が魏将・夏候淵を切り、ここを占領する。この勢いと、先の荊州占領に不満を持っていた呉は、荊州奪還を計画、荊州を守っていた関羽が魏へ攻め込んだ隙に、呂蒙がこれを奪い、関羽を殺害する
ついに不仲になった蜀と呉。劉備は怒りにまかせて呉へ攻め込む、結果は陸遜に敗れ大敗。作戦中に張飛が暗殺されるなど不幸もかさなり、さらに大量の将兵を失う
この後、曹操・劉備が相次いで病死し、その後継者達の物語となってくる
蜀の諸葛亮は南蛮征伐を成功させ、5度も魏へ攻め込んだが、郭紹、司馬懿らにはばまれ、失意のまま病死。後事を託された蒋宛、費緯は国をよく守ったが、費緯暗殺後、姜惟が北伐を繰り返し国が疲弊、逆に攻め込まれ蜀滅亡
魏は曹丕、曹叡と名君が続いたが、曹爽の頃から民を顧みない政治がつづき、司馬一族がクーデターを起こし魏滅亡。継承国家として晋が誕生する。この晋の将軍・鄧艾、鐘会が前述した蜀を滅ぼしている
呉は孫権が長寿であったが、晩年、自ら引き起こした跡継ぎ問題で多くの家臣を失う。陸遜の子、陸抗の死後はこれといった将軍もでず、蜀を滅ぼした晋に対抗する力もなかった。ほどなくして晋の大軍に侵攻され呉は滅亡。ここに三国時代は幕を下ろす
漢を実質支配し圧政を行っていた董卓を倒そうと諸候が組んだ反董卓連合を一蹴した董卓をあっさり殺した王允と呂布を追い出した李カクを滅亡させた曹操が1人で千人に匹敵すると恐れた関羽とそれ以上に強いと言われた張飛の義兄弟の兄で曹操も評価した漢王朝の血を引く劉備が3人がかりでも勝てなかった呂布を倒した曹操をあと一歩まで追い詰めた張繍が傘下(同盟)に入ろうとしていた袁ショウを官渡で倒した曹操がケイ州を手に入れてさらに強大になって攻めてきたのを赤壁で破った孫権と手に入れたら天下をとれると言われた孔明を手に入れた劉備の連合軍の劉備がケイ州を手に入れてさらに蜀を攻略する間に涼州の馬超を破った曹操でさえ遷都を考えたケイ州の関羽を倒した孫権の呉が曹操が死んで、息子の曹ヒが漢を滅ぼして皇帝になった魏と義兄弟を殺された呉に腹を立てまず呉に義弟の報復にきた蜀の皇帝劉備をさらにやぶってもなお追いつかないほどの国力の魏に対し劉備が死んでもなお結構いい感じで北伐を続ける蜀の宰相孔明を防ぎきった魏の司馬懿でさえ攻略できなかった孔明死後の蜀を滅ぼした司馬昭でさえ出来なかった魏からの禅譲と皇帝になり晋を建ていつの間にか皇帝がいた呉を滅ぼし天下を統一した司馬炎
後漢末期、宦官と外戚の腐敗した政治により国が乱れ、黄巾賊などの農民の反乱が興る。その鎮圧のため、各地の官僚に軍事権を持たせたため、それらが軍閥化し、群雄割拠し、次第に淘汰され曹操の魏、孫権の呉、劉備のショク(携帯のため漢字がでません)の三国が残る。そのあて魏がショクを滅ぼして併合し、国名を晋とし、後に呉も併合し中国を統一した。
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