三国志についての質問です。呉の礎を築きあげた 孫策と、赤壁の戦いでの最高功労者、周ユ。
2人とも若くして命を失っていますが、もしこの2人があと20年くらい 生きていたら、呉や諸国はどうなっていたと予測されるでしょうか?
周瑜の「天下二分の計」に従い、蜀方面に攻めあがっていったでしょう。
恐らく魏と呉で長江をはさんだ二国時代がしばらく続くものと考えられます。
その後どうなったか、となると予測が難しくなりますね。
恐らくは反乱などから安定した時代が終わるまで続くのではないでしょうか。
私も大きく流れが変わるとは思いませんね そもそも孫策は確かに優れた将ですがああいう死に方をしたというのがマイナスで結果は変わらない可能性が高いと思われます また他の方も挙げておられますが江陵が堅城で曹仁と徐晃が相手とはいえ落とせなかったのはやはりマイナスです まあ孫策が存命なら合肥にかまけずに合同で江陵を攻めるかも知れないので江陵を落とせた可能性も高いですが結局あの時期は孫権が合肥を落とせない体たらくそして戦力を分散させても江陵を攻めた周瑜が落とせないチョンボをやらかすしまつです 見通しが甘かったという非難は免れません
呉の戦歴を見ると地の利を生かした防衛戦は滅法強いが攻撃側に回ると勝てないという印象が強く キツイのではないでしょうか?あとは孫策次第ですが彼は前線にでる指揮官なので仮に劉備を押しのけることができても龐統のように死んでるかも
ましてや劉備入蜀時と違い正規で行く侵略戦です 蜀滅亡の混乱期にも歩協+陸抗三万以上の軍勢で2千しかいない永安も落とせない呉が蜀をどうにかできたとは思えません せいぜい永安を抜くのに時間がかかり曹操襲来の報を聞き撤退というお決まりパターンになるかと(まあ劉備入蜀時と比べて多少要塞化されてるだろうがそれでも抵抗なく入れた劉備だからこそ蜀を攻めれた)
江陵を死守した朱然 永安を死守した羅憲など良将がいることが条件ではありますが地の利を熟知した防衛戦に勝利するのは容易ではありません 仮に抜いても綿竹などもありますし正規の侵略戦で呉に孫策と周瑜が存命でも蜀を電撃作戦で抜くのはまず不可能です 抜け目のない劉備も妨害に動くでしょうし無理です
ありえるとしたら呉と劉備が争いあい曹操が漁夫の利を得るという可能性が一番高いでしょう 曹操の中国統一が近づくぐらいです
孫策は許を襲撃しようとしていました。実現すれば曹操は袁紹と孫策に挟まれ窮地に陥ったでしょう。ただ、博打みたいなものなので成功するかどうか。成功すればいいですけど、失敗すればかなりの痛手を被ります。
周瑜は確かに名将ですが、江陵を落とすのに苦戦しました。水上戦のように上手くいくとは限りません。劉備も妨害するでしょうし。個人的には周瑜の役目は赤壁で終了だとかんがえます。
孫策は孫権のように腰を据えて江東の地盤を固めることが出来たか分からないですからねぇ…孫策自身が「領土を拡げることは俺のほうが優れているが領土を維持安定させることは孫権には及ばない」と述べているように、孫権のような外征を控えて内部の不穏分子を叩き地元の人間を登用する国造りが出来なかったかもしれません。まぁ孫策の性格からいって、孫権と張昭らに後方支援と内政を一任して自分は荊州なり徐州なりに攻め込んでいたんじゃないかな。
少なくとも「豪族連合」と揶揄されるほど君主の権力が弱い国にはならなかったと思います。張昭とのやり取りなどを見ると、自ら領土勝ち取ってない孫権の代では君主としての権力は悲しくなるほど弱かったみたいですから。赤壁のときも孫権は最後まで家臣団の意見に悩みましたが、孫策なら「わし自ら曹操と戦ってやるわい!」と家臣が意見を述べる間もなく即決即出陣でしょう。
周瑜は死ぬ直前に益州攻めの準備をしてましたから、死ななければそのまま益州を一気に制圧していたはずです。劉備のように益州に入ってからグズグズ悩むことなく一気に成都に攻め込む腹積もりだったんだと思います。ですが、個人的には益州を攻める前に劉備を攻め滅ぼす、または劉備が益州入りした隙をついて荊州を奪ってた可能性が高いんではと思ってます。周瑜は劉備を相当警戒していたようですので、劉備が荊州の後方にいるのは決して良い気分はしないでしょうからね。
周瑜はまだしも、孫策が生きていれば呉は全く違う国になっていたのは確かです。ですが父孫堅そうだったのですが孫策も自分の身の安全に全く気を遣わない人間だったので、死ぬべくして死んだんでしょうね。指揮官が矢が当たるほどの最前線に立ったり護衛も付けずに1人でフラフラ出歩いてはいけません。
蜀はまずなかったでしょうね。呉に併呑されていたはずです。
しかし、曹操は二人の力があったとしても早々破れる人物ではありません。
長江を挟み南と北でにらみ合う事になるでしょう。
ここからが問題です。
曹操とちがって孫策は内政はあまり上手ではありません。周瑜も同様に内政肌ではありません。
この二人は守ってはだめなコンビなのです。
短期決戦型のこの二人のコンボが国力に上回る魏を(魏は呉と蜀を合わせたとしても国力差は倍ある)破れるかどうか。
孫権は地味ですが人を使うと言う意味では孫策を上回っています。
きっとどこかで息切れして二人のうちどちらかが戦死してしまいそうです。
孫権が長男で後方でどっかりと腰を据え内政を担当し、孫策と周瑜が前線に出て戦うような国の体制がつくれたら呉の統一もあったかもしれませんね。
と考えると曹操は非常にバランスの取れた君主ですね。
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