2012年3月23日金曜日

史実に最も近い三国志の書物や物語はどれでしょうか?

史実に最も近い三国志の書物や物語はどれでしょうか?

三国志演技で思春期を育った私は、らかんちゅうやちんじゅの注釈などに唖然とした事を憶えています。



実際の関羽の記事は少ないのに、実際の関羽は嫁の肉を食べて、兵士を鼓舞したり、



曹操に気にいった女性を取られ女々しさを見せたりエピソードは演技は省かれてます。



また100万しかいない蜀の人口から75万の大軍で攻めて夷陵で負けたとか。



演技の誇張よりも、もっとも史実に近いとされるものを探しています。





周瑜が最も天才だったとか、一騎打ちなんてめったにしてない。



孔明はなぜ曹操に仕官しなかったのか



などが書かれてるものなどがいいです、御願いします。







歴史書を読むべきだというのは正しいと思いますが、三国志の時代を扱った正史は『三国志』(『魏書』『蜀書』『呉書』の三つで三国志)『後漢書』『晋書』です。

他には『資治通鑑』や、あるいは考証史学の『廿二史サッ記』などの当該部分も参考になるでしょう。

はたまた『華陽国志』『後漢紀』などもあります。



とはいえ、いきなりそういった史書というのはやや敷居が高いかもしれませんし(和訳がないものもあります)、それに正史だから正しいというわけでもないので、

現代の人が書いた解説書も読んだほうがいいと思います。



史書としては

『正史 三国志』(全八巻、ちくま学芸文庫)

『後漢書』(汲古書院、あるいは岩波書店)どちらの訳もやたら高いので図書館で読むのがいいと思います

(『三国志』『後漢書』『資治通鑑』などはネット上で有志が邦訳を試みているのでそちらも参考に)



解説書は

金文京『三国志の世界』(講談社)

高島俊男『三国志 きらめく群像』(ちくま文庫)








「正史」とは、陳寿の『三国志』に記述されている事柄のことであり、『三国志』が王朝公認の歴史書(すなわち正史)に認定されたことから使われる呼び名である。しかし、三国志の物語として知られる事柄は少なからず明代の白話小説である『三国志演義』によって創作されたものである。『三国志演義』は三国時代の治乱興亡について歴史小説として高いレベルのリアリティをもって描いており、読者の多くが『三国志演義』の記述が史実であると思い込む傾向がある。しかし、『三国志演義』には少なからず説話本や雑劇から取り込まれた部分あるいは作者自身による創作が含まれている。また、登場する地名・官職名・武器防具などは三国時代の時代考証からみて不正確なものも多い。正史の受容『三国志』は、信頼性の乏しい情報を極力排して簡朴明解な記述を行ったため、「質直さにおいて司馬相如を超える文章(「陳寿伝」に載せる范頵の上表)「人物評価に見るべきものがあり、記事は公正正確なものが多い」(裴松之「上三国志注表」)などの高い評価を受けた。しかし南朝宋の裴松之がその簡潔すぎる記述を惜しみ、当時存在した諸種の文献を引用し注釈を作成した。『三国志』とこの裴注、また『後漢書』、『晋書』、『華陽国志』、『世説新語』などに散見する三国時代の記述が三国志の史実世界を構成している。『三国志』の戦乱と激動の記録は後世、特に唐宋の文人の詩想を大いに刺激した。『三国志』をモチーフにした詩詞としては杜甫「蜀相」、杜牧「赤壁」、蘇軾「赤壁賦」、陸游「書憤」などが特に名高い。三国はそれぞれ正統性を主張したが、魏から禅譲した西晋の勝利に終わると、魏の正統が主流になった。西晋にとっては、魏の正統性がよりどころの一つでもあるから当然のことであった。しかし、南北朝時代に入り、晋が全国政権ではなくなると(東晋)、習鑿歯が蜀漢正統論を唱え、次第に注目されるようになった。宋代には三国のうちどの国が正統であるかという、いわゆる「正閏論」が盛んになり、司馬光(『資治通鑑』)・欧陽修(『明正統論』)・蘇軾(『正統弁論』)らは中国の過半を支配した実情から魏を正統とした。しかし、「正統」を決めようすること自体が現実的側面よりは観念的・倫理的な側面の強い議論であり、結局は観念論に基づいた朱子の蜀漢正統論(『通鑑綱目』)が主流となっていった。この歴史観は朱子学の流布と共に知識人階層に広まり、劉備を善玉とする『三国志演義』の基本設定に一定の影響を与えた。清代に考証学が盛んになると、王鳴盛『十七史商榷』・趙翼『二十二史箚記』・銭大昕『二十二史考異』・楊晨『三国会要』など多くの研究が著された。これら考証学の成果は民国に入って盧弼『三国志集解』によって集大成された。また、三国志時代の社会経済等については、同じく民国の陶元珍の『三国食貨志』(上海商務印書館 1934年)がある。『三国志演義』は通俗歴史小説の先駆となり、これ以後に成立する『東周列国志』『隋唐演義』『楊家府演義』などに大きな影響を与えている。『三国志演義』自体の続編としては晋代を舞台にした酉陽野史『続編三国志』がある。また民国に入って、周大荒が蜀漢が天下を統一するように改作した『反三国志』(卿雲書局 1930年)というパロディ小説がある。『三国志演義』は、手軽に手に入り読むことができ、また戦略の成功・失敗例が明解に描かれているため、いわば「素人向け兵法書」としても重宝された。張献忠・李自成・洪秀全らが農民反乱を起こした際、軍事の素人である彼らは『三国志演義』を「唯一の秘書」としたと言われる(黄人『小説小話』)。また初期清朝は、満州貴族達の教育に有用な漢籍を「官書」として満州語訳したが、『三国志演義』も順治7年にダハイによって訳されている。近年の奇書として成君億『水煮三国』(中信 2003年)がある。これは三国志の人物を現代世界に登場させ、ビジネス戦争を勝ち抜いていくというパロディ小説であり、未曾有の経済発展を続ける現代中国において『三国志演義』はビジネスという群雄割拠の戦乱を勝ち抜く兵法書とみなされた。







正史(後の王朝がまとめたいわゆる公式の歴史書)である『三国志』と

講談などで物語として語られた『三国志演義』とがあり

吉川英治が執筆した『三国志』やそれをもとに横山光輝が漫画化した『三国志』は

『三国志演義』を受け継いだ作品です。

この『三国志演義』がどうして出来上がったのかを知るために興味深いのは

井波律子氏の『三国志演義』(岩波新書)です。

『三国志演義』が出来上がる経過を追いながら

どのようにして史実と物語の「三国志」のイメージが出来上がっていったかを考える上で

興味深い一冊だと思います。







羅貫中などが書いた「演義」としての三国志は読者の興味をひきつけるために、

エピソードなどを多く踏まえて編集してあるので、売り物の物語の本として完成しています。

日本で売られている本も、エンターテイメント的要素多く含んで書かれてあると思います。

日本語に訳す時点で風習や感覚からニュアンスも変わっているでしょう。



何が言いたいかというと、

もし本気で最も史実に近い三国志を読みたいのであれば、

中国語での文学としてでなく歴史書としての「三国志」を読むべきであると思います。

孔明など有名人などは各王朝の偉人伝みたいのものにも載っていることがあります。



私も三国志にハマっていたときがありましたが、

「どうせ昔のことやし、どれがうそかほんまかわからんもんなぁ」

と軽く思う程度でしたが、それはそれで楽しかったです。



どうぞ心行くまでハマってくださいね!!







お教えします!



歴史と小説は別物です。



三国志は全くの創作であって、そこに歴史的事実などを見出す事は困難です。



貴方が本当のこの時代の歴史を学びたいと思うのでしたら、三国志は忘れなさい!



この時代の歴史を記録している魏の国の正史である魏史や晋の国の正史である晋史、或いは18史略などを読むべきです!



歴史と歴史小説とは別物であって、歴史小説である三国志は所詮作り話なのです。



ですから史実を学びたいのであれば、歴史を学ぶ必要があるのです!

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