三国志の孫権と袁紹はどちらが軍人として優秀ですか?用兵、統率力、武芸などで比較してみてください。
孫権はどちらかと言うと人事の能力に長けてましたからね。
自ら戦場に出たことはあるけど、結構危険にさらされてることが多かったですしね。
1国を保つのは人事の能力さえあればやってはいけるものなので、漢の建国者劉邦はその能力は大いにありましたからね。
孫権の場合は周瑜、呂蒙、陸遜と優れた指揮官を輩出してますし、軍人として優れてなくても君主としては立派なもの。
袁紹は部下を信じていないと言う悪い面がありますからね。
経験の分だけ孫権より軍人として優れていたとは思いますがね。
彼は詐術で勢力拡大したので軍人として優れてたのはどうかというのもあります。
一応官渡の戦い当時最大勢力を誇ったことは認めるところですけどね。
よく考えてみましょう。
自らの根拠地を持たず、単に董卓が与えたに過ぎない(形式としては漢朝からの正式な叙任)渤海郡太守からスタートして、渤海郡全体の支配すらできていなかった状態(189年)からスタートして、わずか10年で冀・幽・青・并の四州を支配する大勢力に化けたんですよ?
その間、黒山賊や公孫サン[王贊]などの自らより強大な勢力を敵に回し、これらを降したり滅ぼしたりしての結果です。
名将でないなど、とんでもない話です。さらに支配するだけでなく完全に掌握して統治しきっています。曹操が支配するようになってからもたびたび起こる反乱に頭を悩ませている事からもそれが分かります。
また、曹操は官渡の戦いから2年後に袁紹が死んでもなお、袁氏勢力の根絶に5年も費やしています。逆に言えば袁紹が死んでもなお袁紹の遺徳を慕い、袁紹に忠誠を誓う武将たちがいたという事です。
父や兄が遺した人材と地盤を元手にスタートできた孫権とはまさに雲泥の差です。『三国志演義』に騙されてはいけません。
ただ、武芸に関しては両者とも記録に乏しいので優劣は付けられません。強いて言えば、降り注ぐ矢の雨に敢えて身を晒した(袁紹)とか、虎狩りを好み騎った馬の鞍に虎の爪がかかる事もあった(孫権)…などが勇気や武芸を連想させるエピソードでしょうか。
いや、袁紹だろ。
自らコウソンサン倒してる+曹操をあと一歩まで追い詰めている
曹操陣地に関羽がいなかったらガンリョウ、ブンシュウでどうなっていたか
孫権は政治にしかできないヘタレです。
合肥攻めて数万の軍勢でチョウリョウの数百の軍勢に負けるって弱すぎだろ。
油断して死にそうになってシュウタイに助けてもらってるし。
呉の勝ち戦なんてリョモウ、シュウユ、リクソンとか優秀な人材
のおかげ
そうですね。比べるのは妥当じゃないですね。比較にならないほど袁紹が優秀ですから。袁紹は時の大勢力だった公孫瓚や黒山賊を破り(しかも自ら指揮してると思われる節もある)、曹操も寸でのところまで追い詰めてる。
かたや孫権。若い頃の戦に関する記述は「敵が来ないと思って油断しきって、案の定急襲を受け、周泰を瀕死の重傷に追い込んだ」です。その後も自ら指揮しては負けばっかりです。やっぱり油断して張遼にボコボコにされたりね。良くて曹操相手の引き分け。孫呉の勝ち戦の多くは周瑜や陸遜などの優秀な司令官によるもので、孫権が戦そのものに絡んでることは少ないです。
孫権に「軍才」という言葉は無いに等しいですよ。袁紹は大嫌いですが、決して名門上がりのボンボンでも優柔不断なだけの君主でもありません。
孫権と袁紹を比較するのは妥当とは思えませんね~。そりゃ~孫権の方が全てにおいて優れていたのではないでしょうか。袁紹は名門というだけで名将ではありません。孫権も名門であるが、若くして部下の信頼を得て歴代の名将を統率しています。赤壁で曹操に勝利し三国時代の一翼を担っています。赤壁に話を戻すと、曹操に降伏するか決戦か国内で意見が分かれていたときも部下の進言を採用し不利な状況の中で決戦を決断し意見を取りまとめています。統率力や決断力は袁紹では比較対照とするのには役不足です。武勇にしても孫権は若いときから評価は高くあったようです。袁紹と直接対決って場面がないので武芸の評価が出来ませんが、おそらく孫権が上ではないでしょうか?
0 件のコメント:
コメントを投稿