2012年3月20日火曜日

三国志で、しかも武力「以外」の意味で「最強」の女性は一体、誰でしょうか? 武力...

三国志で、しかも武力「以外」の意味で「最強」の女性は一体、誰でしょうか?

武力勝負なら祝融夫人が最強でしょうけども、「女性としての」強さとは違いますし…。


女性としての「強さ」や「怖さ」や「賢さ」というものに興味がありますね。







孫堅の妻であり、策・権の母である呉夫人でしょうか。度胸も頭の良さも抜群です。



孫堅と結婚するときは周りの猛反対に合うものの、「それで不幸になってもそりゃ私の運命よ。ほっといてちょうだい!!」と啖呵を切り、腕っ節でのし上がってきた孫堅と結婚。豪族の娘がどこぞの馬の骨とも分からん輩に嫁ぐんですから、なかなか肝っ玉が据わっています。一応孫堅も役人を輩出してきた家柄で、(地元では)それなりに名が売れていたようですが…

さらに、孫策の人を殺しすぎる癖を事ある毎に諌め、孫策が魏騰を殺そうとしたときには「んなことすれば井戸から身を投げて死んでやる!!」と一喝。あの孫策が「びっくりして、あわてた」ようです(汗)まさに肝っ玉母さん。

さららにさらに、孫権が立つと、行政・軍事両面にアドバイスを送っていたとか。曹操が人質を要求してくると、周瑜の反対意見を支持し「周瑜を兄と思って仕えよ」と言い、死に際には張昭らを招いて後事を託すなど、最後まで呉のためを考え行動しています。ただ、その後張昭が威張り散らして(?)孫権と大喧嘩を繰り返したのは、この呉夫人の遺言のせいだったりして。張昭は「ワシは策殿と呉夫人に後を託されたんだから、おめーのご機嫌取りなんざ真っ平じゃい!」なぁんて言っちゃってるしw








いやあ、そうそうたるメンバーが挙がってますなあ(笑)。

名前の出てないところで、私は武宣卞皇后を推しましょう。



卞氏はもともと歌妓だったとか。という事は「歌って踊れる綺麗な飲み屋のネーチャン」だった訳で、まず美しさは折り紙つきです。曹操の側室となってからは正室である丁夫人への礼を欠かさず、謙虚で賢い一面も見せています。また倹約家で自ら機織りなど下女の仕事も進んでしたそうな。



また、一族が卞氏の地位を恃んで富貴を得ようとするのを常々戒めていたとか。息子のために邸を建ててやっても新築祝いには質素な食事しか出さず、一同に向かって「私の力を当てにして財宝を得ようとしても無駄です」と宣言してみたり。

曹植が罪を得た時も「私に遠慮して国法を曲げてはいけません」と毅然とした態度を崩しませんでしたね。



元が庶民の出だから飾らず気取らず、その辺りが曹操が気に入った部分だったんじゃないでしょうかね。事実、曹丕・曹彰・曹植・曹熊と4人の男子を産んでいます。実は曹操の数ある妻妾の中でも、男子を4人産んだのって卞氏だけなんですよね。丁氏みたいに男子を産めなかった人もいましたし。



美人で賢いだけじゃなく、質素で謙虚で芯が強くて、優秀な子を産むし、しかも長生き(享年71歳)。

非の打ち所がありませんな。私もこういう嫁が欲しいもんです(笑)。







肝っ玉母さん 男を手玉にとり運命を狂わせた美人 内助の功を発揮した女性 色々な強い女性が出てますね

それでは私はある意味 女性の強さ 怖さ 賢さを発揮した女性を推します

その名は全公主こと孫魯班です

呉書の記載など経緯を考えると本当かどうか分かりませんが一応史書どおり悪女だと考えていきます

そこから考えるなら孫権の老害っぷりも大きいですが呉をゴタゴタにし国力を衰退させる片棒を担いだ彼女は最凶でしょう



まあ裏をとる必要はあると思っていますが…







演義的に言うと、「貂蝉」

三国志最大の悪といってもいい董卓と、

最強との呼び声が高い呂布の人生を狂わせ、

結果的には養父(とされる)王允の死の遠因を作った人間兵器。

しかも、自ら手を下すわけでもなく、

他力本願でというのがある意味凄いと思います。



もう一人、

曹操夫人の「丁 夫人」

曹操が曹昂(義理の息子)を見殺しにした事を詰り、

曹操が頭を下げて復縁を願っても聞き入れず、主旨貫徹したことは立派。

あの曹操が女性に頭を下げた事は、これが最初で最後ではないでしょうか?







演義の話でしたらやはり呂布をたらし込んだ貂蝉の名前が筆頭に挙がるでしょう。次いで大喬・小喬かな。

賢夫人の類でしたら諸葛亮の黄夫人。いわゆる内助の功ではこの人が一番ではないかと。

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