2012年3月21日水曜日

【『三国志』巻三十七 蜀書七 ろう(ほう(マダレに龍))統伝】の書き下しを教えて下...

【『三国志』巻三十七 蜀書七 ろう(ほう(マダレに龍))統伝】の書き下しを教えて下さいm(__)m







龐統字は士元、襄陽の人也。少き時樸鈍にして未だ識る者有らず。潁川の司馬徽、清雅にして人を知るの鑒(かん)有り。統、弱冠にして往きて徽に見ゆ。徽桑を樹上に採りて,統を座して樹下に在らしめ,共に語りて晝自り夜に至る。徽甚だ之を異とし,統を稱して當に南州士の冠冕なるべしと,是に由りて漸く顯る。

後に郡命じて功曹と為す。性人倫を好みて,長養に勤む。每に稱述する所,多く其の才を過ぐを,時の人怪みて之を問ふに,統答えて曰く「當に今天下は大亂し,雅道は陵遲し,善人は少くして惡人多し。方に風俗を興し,道業を長ぜんと欲すれば,其の譚を美となさざれば即ち聲名慕企するに足らず,慕企するに足らざれば善を為す者少し。今十を拔きて五を失うとも,猶ほ其の半ばを得,而して以って世教に崇邁し,志有る者をして自ら勵ますべし,亦た可ならずや?」

吳將周瑜先主を助けて荊州を取り,因りて南郡太守を領す。瑜卒し,統喪を送りて呉に至り,吳人多く其の名を聞く。及ち西還に當りて,並びて昌門に會し,陸勣、顧劭、全琮皆な往く。統曰く「陸子は駑馬と謂ふべし逸足の力有り,顧子は駑牛と謂ふべし、能く負重きを負いて遠くに致すなり。」張勃吳錄曰く:或いは統に問いて曰く「目するところ陸子を勝ちと為すいかん?」統曰く:「駑馬は精なりと雖も,致す所一人のみ。駑牛は一日に三百里を行き,致す所豈に一人の重さのみならんや!」劭統の宿に就き,語りて,因りて問うに「卿人を知るの名あり,吾と卿と孰れが愈(まさ)らん?」統曰く「陶冶の世俗,甄綜の人物,吾卿に及ばず;帝王の秘策を論じ,倚を伏す要最を攬ずるに,吾一日の長似たる有り。」劭其の言を安し之と親しむ。全琮に謂いて曰く「卿施すを好み名を慕う,汝南の樊子昭に似たる有り。智力多からずと雖も亦た一時の佳なり。」績、劭統に謂いて曰く「天下をして太平ならしめ,當に卿と共に四海の士を料るべし。」深く統と相ひ結びて還る。

先主荊州を領し,統を以って從事をもって耒陽を守らしむ,縣に在りて治めず,官を免ぜらるる。吳將魯肅、先主に書を遣りて曰く「龐士元より、百里の才に非ざる也,治中、別駕の任に処らしめば,始めて其の驥足を展ぶべきのみ。」諸葛亮亦た先主に之を言う,先主見えて与に善く譚じ,之を大器とし,以って治中從事と為す。

親待すること諸葛亮に亞(つ)ぎ,遂に亮と併びて軍師中郎將と為る。亮留りて荊州を鎮す。統隨い從いて蜀に入る。

益州の牧、劉璋先主と涪に會す。統策を進めて曰く「今此の會に因りて,便ち之を執(とら)うべし,則ち將軍、兵を用いるの勞無くして坐して一州を定むなり。」先主曰く「初めて他國に入り,恩信未だ著れず,此れ不可なり。」璋既に成都に還り,先主當に璋の為北のかた漢中を征たんとす,統復た說いて曰く「陰かに精兵を選び,晝夜道を兼ね,徑ちに成都を襲わん。璋既に武ならず,又た素より預(あらかじ)め備うる無ければ,大軍卒(にわか)に至らば,一舉に便ち定まらん,此れ上計なり。楊懷、高沛,璋の名將にして,各強兵に仗り,據りて關頭を守る,聞くに數(しばしば)箋有りて璋を諌め,將軍を發遣して荊州に還せしめんとす。將軍未だ至らざるに,遣わして與に相い聞き,荊州に急有り,還りて之を救わんと欲すと説き,並びに裝束せしめ,外に歸形を作せ;此の二子既に將軍の英名に服し,又た將軍の去るを喜ばん,計るに必ず輕騎に乗りて來り見えん,將軍此に因りて之を執らえ,進みて其の兵を取り,乃ち成都に向かわん,此れ中計なり。退いて白帝に還り,荊州に連引し,徐に還りて之を圖る,此れ下計なり。若し沈吟して去らざれば,將に大困を致さんとす,久しからず。」先主其の中計を然りとし,即ち斬懷、高沛を斬りて成都に向かい,過ぐる所輒ち克つ。涪に於いて大いに會し,酒を置きて樂しみを作す,統に謂いて曰く「今日の會,樂と謂うべし」統曰く「人の國を伐ちて以って歡を為すは,仁者の兵に非ざるなり」先主醉し,怒りて曰く「武王紂を伐つに、前に歌い后に舞ふも仁者に非ざるか?卿の言當らず,宜しく速かに起出せん!」是に於いて統逡巡して引き退ぐ。先主尋いで悔み,還るを請ふ。統故の位に復し,初めより顧謝せず,飲食自若たり。先主謂いて曰く「向(さき)の論,誰か失と為す」統對えて曰く「君臣俱に失すなり。」先主大笑して,宴樂すること初めの如し。

進みて雒縣を囲む,統眾を率いて城を攻め,流矢の中る所となりて,卒す,時に年三十六。先主痛惜し,言いては則ち流涕す。統の父を拜して議郎と為し,諫議大夫に遷して,諸葛亮親ら之が為に拜す。統に爵關內侯を追賜し,諡りて靖侯という。統の子宏,字は巨師,剛簡にして臧否有り,尚書令陳袛を輕傲して,袛の抑える所と為り,涪陵太守に卒す。統の弟林,荊州の~魏列侯に封じ鉅鹿太守に至る

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