三国志の赤壁の戦いで死んでしまった将軍は誰ですか?
魏.呉陣営(蜀も含めて)の主要な武将で死んだとされる武将はおりません。
特に、魏陣営で「赤壁」の戦いに参加したと思われる武将は、
曹仁と楽進くらいと思われます。
あえて演義で探すと、
【蔡瑁(さいぼう)】
水軍都督として指揮を任されていました。
水軍に長けている蔡瑁を恐れた周瑜の離間策に嵌った蒋幹の報告で、
周瑜に内通しているとあらぬ疑いをかけられ、
曹操によって張允と共に処刑されてしまいます。
【蔡勲(さいくん)】
蔡瑁の弟の設定の架空の人物です。
赤壁の戦いの前哨戦となる三江口の戦いに、
蔡瑁と共に参戦し、兄の命で先鋒として出撃しますが、
甘寧が放った矢に当たり、
あっけなく両軍最初の戦死者になるという役回りを演じています。
【蔡和(さいわ、さいか)】
従兄蔡瑁が処刑されると、
曹操の傘下に入って蔡中と共に呉に偽りの投降をします。(架空)
周瑜はこの投降を偽りと見抜いており、
苦肉の策成就の為利用し、これを成功させます。
赤壁の戦いが開戦するとなった時、
周瑜に引き出されて策略が露見していたのを知り、
呉軍士気高揚のために斬首されます。
【蔡中(さいちゅう)】
蔡和の従兄弟とされます。(架空)
蔡和と共に偽りの投降をしますが、周瑜に見破られ、
甘寧を曹操陣営の裏の烏林の地まで導きますが、
そこで首を切り落とされてしまいます。
【張允(ちょういん)】
蔡瑁の甥(外甥。姉妹の子)
曹操から水軍の組織を蔡瑁と共に任されます。
曹操の間諜として訪れてきた蒋幹に、
蔡・張が内通してるとの偽情報を掴ませられ、処刑されます。
蔡一族は、演義作者の羅貫中に何か恨みを買ったかのように、
徹底的に惨めな死に方をしていますね。
正史では、蔡瑁は漢陽亭侯に封ぜられるなど高位高官を手にしています。
《追記》
【焦触(しょうしょく)】
袁紹の次男、袁煕の配下でした。後に曹操に降り、列侯に封じられました。
赤壁の戦いの緒戦に水軍の心得あり参加しましたが、
韓当に討ち取られます。
【張南(ちょうなん)】
袁紹の子、袁煕の配下でした。
主人を裏切って焦触とともに袁兄弟を遼西に追放し、
曹操に降伏し列侯に封じられました。
赤壁の戦いに参加し、その緒戦で水軍の心得があるとして出陣しますが、
周泰に討ち取られ戦死します。
死んでいった彼らには失礼ですが、やっぱり一流どころの名前が見えず、
華々しい死に際だった人物も少ないですね。
魏軍はやはり、疫病に係り、戦意喪失状態だったようで、
演義で描かれているような壮絶な戦いは、どうも創作に近いのでしょうね。
中村獅堂は死んで無いよ~
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