【『三国志』巻五十四 呉書九 周瑜伝】の書き下しが知りたいので教えて下さいm(__)m
周瑜字は公瑾、廬江郡の人也。従祖父景、景の子の注みな漢の大尉たり。父の異、洛陽の令なり。瑜長壮して姿貌あり。初め孫堅、義兵を興して董卓を討ち家を舒に徒(うつ)す。堅の子策は瑜と同年にして独り相友たりて善く、瑜、道南の大宅を推して以って策を舎(やど)らしめ堂に升(のぼ)りて母を拝し有無を通共す。瑜の従父尚丹陽太守と為り瑜往きて之を省る。たまたま策、東渡せんとして歴陽に到り書を馳せて策を迎ふ。策大いに喜びて曰く、吾卿を得ば諧(かな)ふ也。遂に従ひて横江、当利を攻め皆之を抜く。及ち江を渡りて抹陵を破り薛礼を破り転じて湖○江乗を下し進みて曲阿に入る、劉繇奔走し而して策の衆已に数万なり。因りて瑜に謂ひて曰く、吾此の衆を以って呉会を取り、山越を平らぐること已に足れり。卿還りて丹陽を鎮めよと。瑜還る。之頃、袁術従弟の胤を遣して、尚に代へて太守たらしめ而して瑜、尚と与に寿春に還る。
術、瑜を以って将と為さんと欲するも瑜、術の終に成す所無からんと観て故に居巣の長に為るを求め塗(みち)を仮り東帰せんと欲し、術之を聴す。遂に居巣自(よ)り呉に還る。是の歳、建安三年なり。策親しく自ら瑜を迎へ、建威中郎を授け即ち兵二千人騎五十匹を与う。瑜時に年二十四、呉中皆呼びて周郎と為す。瑜の恩信、蘆江に署わるるを以って出でて牛渚に備えしむ。後に春穀の長を領す。之頃策、荊州を取らんと欲し瑜を以って中護軍と為し、江夏の太守を領せしむ。従ひて皖を攻め之を抜く。時に橋公の二女を得たり。皆国色なり。策自ら大橋を納れ、瑜小橋を納る。復た尋陽に進みて劉勲を破り江夏を討ち還りて予章蘆陵を定め留まりて巴丘を鎮す。
五年策薨じ、権事を統ぶ。瑜兵を将いて喪に赴き、遂に呉に留まり中護軍を以って長史の張昭と共に衆事を掌(つかさど)る。十一年孫、瑜等を督して麻保の二屯を討ち其の渠師を梟し囚浮、万余口還りて宮亭に備う。江夏太守の黄巣、将の登龍を遣り兵数千人を将いて柴桑に入らしむ。瑜追討して撃ち龍を生虜りて呉に送る。十三年春、権江夏を討ち瑜は前部大督と為る。
其の年九月曹公荊州に入り劉琮衆を挙げて降る。曹公其の水軍を得て船と歩兵数十万、将士之を聞き皆恐る。権群下を延見して問うに計策を以ってす。議者みな曰く曹公は豺狼也なり。然れども名を漢相に託し天子を挟(さしはさ)みて以って四方を征し、動(やや)もすれば朝廷を以って辞と為す。今日之を拒ぐは事更に順ならず。且つ将軍の大勢以って操を拒ぐべき者は長江なり。今、操荊州を得、其の地を奄有す。劉表は水軍を治め蒙衝闘艦及ち千を以って数う。操悉く浮かべ以って江に沿い兼せて歩兵を有し、水陸倶に下がる。長江の険已に我と之を共にするなり。而して勢力の衆寡また論ずべからず。愚謂ふに大計は之を迎うるに如かずと。瑜曰く然らず。操は名を漢相に託すと雖も其の実漢の賊なり。将軍神武の雄才を以って兼ねて父兄の烈に依り江東に割拠し、地は方数千里、兵は精にして用いるに足り英雄業を楽しむ。尚ほ天下に横行し漢家の為に残を除き穢を去るべし。況や操自ら死を送るに之を迎うべけんや。請ふ将軍の為に之を諮らん。今もし北土已に安んじ、操内憂無く、能く日を曠(むな)しくして持久し来りて疆馬を争ふとも又よく我と勝負を船楫の間に校べんや。今北土既に未だ平安ならずして加えて馬超韓遂は尚ほ関西に在りて操の後患たり。且つ鞍馬を舎て船楫に依り呉越と衡を争ふ。本より中国の長ずる所に非ず。又今盛寒にして馬に藁草無く、中国の士衆を駆りて遠く江湖の間を渉り、水土に習わず必ず疾病を生ぜん。この数四は用兵の患なり。而して操、皆冒して之を行う。将軍操を虜にするは今日に在るべし。瑜請う精兵三万人を得て進みて夏口に住まり将軍の為に之を破るを保せんと。
権曰く、老賊漢を廃して自立せんと欲すること久し。徒に二袁呂布劉表と孤を忌むのみ。今数雄已に滅び、惟(ただ)孤のみ尚ほ存す。孤と老賊とは勢い両立せず。君撃つべしと言ふは、甚だ孤と合す。此れ天、君を以って孤に授くるなり。
時に劉備曹公の破る所と為り引きて南して江を渡らんと欲す。魯粛と当陽に遇い遂に計を図り、因りて進みて夏口に住まり諸葛亮を遣わして権に詣らしむ。権遂に瑜及び程普等を遣わして備と力を併せて曹公を迎えしめ赤壁に遇う。時に曹公の軍衆已に疾病あり。初めて一たび戦を交うるや公の軍は敗退し引きて江北に次(やど)る。瑜等は南岸に在り。瑜の部将黄蓋曰く、今寇は衆く我寡なし、与に持久し難し、然れども操の軍船を観るに艦の首尾相い接し、焼きて走らすべきなりと。及ち蒙衝闘鑑数十隻を取りて、実たすに薪草を以ってし膏油もて其の中に灌ぎ裹むに帷幕を以ってし上に牙旗を建つ。先ず書して曹公に報じ欺きて降らんと欲す。又走艀を予備し各(おのおの)大船の後に繋ぎ因りて引き次ぎ具に前む。字数尽く
書き下しですよね。
サイトをかなり漁りましたが見当たりませんね。
↓、ご存知でしょうが漢文と日本語訳はいくつかありますが・・。
http://www.project-imagine.org/search2.cgi?text=wu9-1
http://f27.aaa.livedoor.jp/~sonpoko/syuuyu.html
午前中中央図書館に行って
「呉書」探しましたが、
私の居住地の図書館には、
残念ながらありませんでした。
周瑜伝は、
ちくまの正史訳本でも、
二十ページ超に及ぶ日本語訳の分量ありますんで、
図書館で「呉書」を探されるのが、一番手っ取り早いかと思います。
お力になれませんでスミマセン。
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