三国志の武将対決
①周瑜VS郭嘉
ともに早死にした稀代の軍師対決。
赤壁の後、曹操は郭嘉がいたなら・・・と嘆いたらしいけど、
あの時は絶対的な戦力差があったのを考慮にいれてください。
②ジュンイクVS諸葛亮
よく張良と比べられる2人の対決。張良とも比較していただけたらありがたいです。
③チート諸葛亮VS韓信
お互いに人間離れした用兵術の持ち主。もはや空想の戦い。ちなみに、チート諸葛亮は演義の諸葛亮のことです。
良いですねぇこの質問♪
①周瑜VS郭嘉
舞台を決めましょう。やっぱり赤壁ですよね。
でも郭嘉がいたらそもそも赤壁の戦いが起こっていないと思います。
曹操軍に対抗するために劉備・孫権の連合ができたわけですが曹操の脅威が
無くなったのちに荊州を巡って劉備・孫権はしばしば対立します。
この展開、袁紹亡き後の袁家がお家騒動で自滅することを読み切った郭嘉なら
十分に予測したでしょう。
力押しせずにいったん引く。劉備・孫権の仲が怪しくなってきた頃に劉備を
個別撃破。
孫権は出方次第で手を組むか闘うか。
周瑜は戦術家としては超一流でも戦略家としては?マークがつきます。
(ちなみに私は三国志の武将では美周朗、周瑜が一番好きです)
戦場で周瑜が郭嘉に後れをとることはまずないでしょう。
ただし郭嘉がそのことをよくわかっているため直接対決ということはないかと。
戦略家対戦術家の戦いですね。
②荀彧vs諸葛亮
う~ん、悩みます(笑)
「忠言は耳に逆らえども行いに利あり、毒薬は口に苦けれども病に利あり…と申しまする」
とは張良の言。
張良、荀彧、諸葛亮、三者三様この言葉通りの生き様ですが、結果を比べると。。。
張良の主 ⇒劉邦 のちに漢王朝樹立
諸葛亮の主 ⇒劉備 のちに蜀王朝樹立
荀彧の主 ⇒曹操 のちに魏王朝樹立
全員皇帝の位についています。さすが王佐の才の持ち主たち。
でも、、、
張良 ⇒劉邦が天下統一後、自ら望んで留侯(地方大名みたいなもの)
諸葛亮 ⇒劉備が蜀を統一後、丞相として活躍
荀彧 ⇒ 曹操が皇帝の座に就こうとしたときにもめて、曹操から疎まれます。
『魏氏春秋』には曹操から空っぽの贈り物をされて(用済みの意)
自殺したとも。
以上から3者の対決結果は明らかかと。
③諸葛亮vs韓信
韓信の勝利。個人的に韓信が好きだから(笑)
と冗談は置いておいて。
演義での諸葛亮はほぼ非の打ちどころかありません。あえていうなれば後身を
育てられなかったことと意外に戦での成果が得られていないことですかねぇ。
(蛮族相手には無敵モードですが)
一方の韓信。将軍として戦における成果は目を見張るものがあります。
が、、、晩年は劉邦の不信を買い、謀叛を企てて結局それも露呈して囚われ
処刑されています。本人だけでなく三族罪に問われています。
戦場ならば韓信が勝つでしょうが、戦いの舞台は戦場だけではありません。
国作りからです。総合的に見れば演義の諸葛亮には勝てないでしょうね。
投稿直後に補足見ました(笑)
舞台はどこでもいいんですよ。両者の質の違いですね。
上記でも言及していますが、戦術家と戦略家。
ある戦場で合戦を行うまでにいろいろ策を施して戦況を有利な状態にする力は
郭嘉に軍配が上がり、ある戦場で同程度の戦力で合戦となると周瑜に軍配が
上がるでしょう。
要するに郭嘉は闘わずして勝つタイプだということです。
①周瑜と郭嘉が赤壁で対決するなら郭嘉が勝つでしょう。ただあの頃の曹操は積極性に欠けていたので、嘉嘉の建策を取り入れないことがあったかもしれません。
②荀彧、孔明、張良は全員、戦の大局をみておおまかな指示を出すなのでどちらが地の利を得ているかで決まるでしょう。
③チート孔明なら韓信と互角に戦えるかもしれませんが、撃破は不可能でしょう。
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